夕焼で暖色に染まる短い桜の並木道を、一日を終えた恵泉女学院の生徒たちが通り抜けていく。
その歩調は一様にも見えるが、見て取れる雰囲気は多様だ。
私は一人、屋上からその光景を見下ろす。別に人間観察が趣味というわけではない。
ただ一人になりたかっただけ、ただ今の私を誰かの前に曝け出す事が躊躇われただけ。
一応は失恋した身、ちょっとくらい落ち込みもする。
もう少しだけここから下界を眺めていよう、そう思った。
ふと、ゆったりと一定のペースで流れていた並木道に、淀みが生じた。
「……?……あぁ」
納得。下校する生徒は皆、一様にある人物を気にしているようだ。
遠巻きに見つめる人。数メートル後ろで、同じペースを維持する人。少しの躊躇の後、思い切って挨拶をする人。
そこに居る生徒のほとんどがお姉さまを意識しているのが見て取れた。
相変わらず人気のある方。
あれで男の方だというのだから……世の中は分からない。
その、お姉さまを後ろから追う影が一つ。
トトトトトトト……、そんな音が聞こえてくるような気がして、微笑ましい。
小さな体にはやや大きめに見えるリボンをつけた女の子が、瑞穂さんを追いかける。
「奏さん……」
どの辺から走って来たのだろう。瑞穂さんに追いついた奏ちゃんは肩を上下させている。
それを見た瑞穂さんもまた、歩みを止める。奏さんが落ち着くのを待つようだ。
奏さんの前にしゃがんで視線の高さを合わせるとやさしく頭を撫でている。
『ごめんなさい、奏……また、お姉さまにご迷惑をかけているのです……』
『奏ちゃん、奏ちゃんは私と一緒に帰りたくて一生懸命走ってきたのでしょう?
 私、とても嬉しいわ』
会話までこちらに聞こえてきそうな雰囲気。



「……随分と優しいお顔をなさるのですね、何を見てたのです?」
至近距離。耳元でささやくような声に私は腰を抜かしそうになった。
「し、紫苑さまっ! 一体、いつのまにこんな……」
「あら、私がいてはおかしいですか? ここ、私のお気に入りの場所なんですよ」
屈託のない笑顔。私の憧れ、理想ともいえるお方。
「そういう意味ではありません。どうして気付かれない内にこんな近くまで来れるのか、
 それが疑問だったのですわ」
「さあ、どうしてでしょう。私は普通に歩いてきましたよ。
 気配を消すための修練も、生まれてこの方した事がありません。
 ……ただ」
紫苑さんが一歩、前に乗り出す。
私の横に並び、屋上の手すりに両手をつくようにして下を見下ろす。
ようやく息の整ったらしい奏ちゃんと瑞穂さんが手を取って歩き出していた。
さっきまでの憂いはどこにもなく、浮かんで見えるのは満面の笑み。
「……貴子さん」
「なんでしょうか、紫苑さま」
「……コロコロと目まぐるしく表情が変わって、……とても可愛らしいですわね」
紫苑さまも同じ気持ちのようだ。ちょっと嬉しい。
「そうですわね。私も、本当に可愛らしい子だと思います。奏さんは……」
くすっ。紫苑さまが微かに笑った。
振り向いたその視線は慈愛に満ちあふれている。
それでいて、強い意志を秘めているような……そして、全て見通してしまうような深さがあった。


「ごめんなさい。少しおかしくて、ふふっ」
「……私、何かおかしな事を言いましたか?」
「すみません、気を悪くしないで下さいね。ええと、ですね……私が言ったのは貴子さん、あなたの事よ」
「私…ですか?」
「ええ、まるで百面相のように、コロコロと表情が変わっていました」
「ひゃ、百面相……」
私の顔、そんなに変化していたのだろうか。だとして、私はいったいどんな表情をしていたのだろう。
どんな感情を紫苑さまに診られていたのだろう。
「ねぇ、貴子さん」
紫苑さまは目を細めると、そっと私の肩に手を置いて下さった。
「よかったら、話してくださらない? あなたに何があったのかを。
 私は見てしまいました。
 悲痛な思いに耐えるような顔、恋する乙女のような顔、子を慈しむ母のような顔、
 全てを愛している聖職者のような笑顔……
 最後のお顔は本当に惚れ惚れするような笑顔でした。
 だから、ひょっとしたら貴子さんは、もう自己解決してしまった後なのかもしれません。
 そうしたら、私のしている事はただのお節介さんですわ。
 でも、それでも私がこんな事を言うのは、最初から最後まで通して、あなたの表情からは
 少しの嫉妬と、そして大きな羨望が見て取れたから」
「…………」
言葉が出ない。出ようはずもない。
何なのだろう、どうして表情の形容がそこまで具体的にできるのだろう。
どうして全て心当たりがあるのだろう。
どうしてこの人はこうまで的確に私の心を脅かすのだろう。
一年しか生きた時間は違わないはずなのに、来年の自分がこうなれるとは、到底思えなかった。
紫苑さまの事は尊敬していますし、お慕いもしています。
でも、この仕打ちは……私の心にズカズカと入って来るのは……やめて……ください……。


「紫苑さまの言うとおりですわ。私、恋をしていましたの」
気持ちとは裏腹に、言葉がついて出る。
その調子も、やっぱり気持ちとは裏返しで、とても静かなものだった。
「うん」
紫苑さまは目をゆっくりと閉じると、まるで子供を抱きすくめるように、後ろから手を回してきた。
  融けてしまいそう……。
「お相手は……、……いえ、続きを聞かせてください」
「紫苑さまの考えている通りの人です。私が恋焦がれていた相手は、
 宮小路瑞穂さんです」
「……鏑木、瑞穂さんではなくて?」
「知ってらしたのですか……。本当に、あなたという方は……
 そうですね、私は鏑木瑞穂さんに恋をしていました」
「うん」
紫苑さまの髪が風で微かになびく。
頬を撫でるように流れるそれは、まるで私の涙をすくおうとしているように感じて、
私は自然と涙をこぼした。
「でも、適わぬ…恋でした。私の、家と、……瑞穂さんの家は…あの有様、ですしっ……
 瑞穂さんも…わた、くしの事をっ、私の、事をっ、女としては…見てくれは、…しません、…………でしたわ」
嗚咽でうまく喋れない。きちんと言葉にできている自信はなかったが、
紫苑さまの腕がきゅっと締まるのを感じ、
ちゃんと伝わっている。そう思えたので、構わず続けることにした。
「瑞穂さんには…好きな人が、いました   . . .
 そして、その子っ、も…瑞穂さんの事を、宮小路瑞穂を、誰よりも……誰よりも、必要としていました。
 そう……、私よりもですわ」
涙は頬を垂れる事なく、紫苑さまの髪の毛を伝っていた。
さっきまで頬を撫でていた紫苑さまの髪は、涙をすい、私の頬にはりつくようになっていた。
不快感はない。紫苑さまが全身が私を抱きしめてくださるように思えたから。
ただ、この綺麗な御髪を私の涙で濡らすのは申し訳なかった。


す〜、は〜っ。
深呼吸を一つ。
段々落ち着いてきている。これなら、ちゃんと喋れそうだ。
「もちろん、奏ちゃんに嫉妬もしましたわ、でも、それも些細な事でした。
 私自信が、一番、負けた……と言うか、身を引くべきだと思えたんですもの。
 対抗する気にもなれませんでした」
「どうして……かしら」
「あの二人は、特別なんです。確固たる信頼と絆、その土壌の上に想いがあるんです。
 恋心だけじゃとても太刀打ちできませんわ。
 それに、奏ちゃんから大好きなお姉さまを奪うなんて、できるはずがありません」
饒舌な私。涙はとうにひいていた。
それだけ納得済みなんだという事だろうか……あの二人には。
「私、心から奏ちゃんを応援できるんです。
 瑞穂さんと一緒に幸せになってほしいって、頑張れって思えるんです」
「分かりますわ、そのお気持ち。私にもよぉく、分かります」
「ええ。ですから、私はこの恋に笑顔でさよならできるんです。
 いい思い出にできるんです」
背後で紫苑さまが動く。
肩口から身を乗り出すようにして、私の頬に自分の頬をそっと重ねた。
「お強いのですね、貴子さんは」
「そうなので、しょうか……」
「ええ、そうですわ。私が保証します。あなたは強い方。
 でもね、貴子さん、どんない強い人だって、こうしてたまに人に頼らなくては壊れてしまいますのよ。
 それを、ちゃんと覚えておきなさい」

「……はいっ」
「よろしい」
最後の一言が一番優しく残った。

以上であります。

奏ルートと言いつつ貴子スキーな私でごめんなさい。
多分、続いちゃいます。



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